「なるなるみになる」の発想シーンを話す

なるなるみになる


 2月上旬、山梨県甲府市を訪問しました。地元の食品の商品開発のアドバイスを求められました。

 指名された理由は、「『なるなるみになる』が大好きで、どんなときに発想できたのか聞きたい」とのことでした。

「ムクムクソーダ」「ねるねるねるね」を思いついたシーンはこの人たちに、15年以上前に話したことがあります。

ーーー我が家でブドウを食べているとき、最後の一房を、私が全部食べてしまいました。その時、お余りを期待していた次女が、べそをかき始めました。

「ああ、食べてしまったブドウの粒を数粒でも良いから元に戻せたらなあ」と、一粒も突いてない房を見ながら、思いました。ーーー

 ここからは、研究所とパッケージ会社のプラスチック加工屋さんのお陰で商品化に至りました。

 甲府では、商品開発のアドバイスの前に、私に「発案、発想」の思い出話を徹底的に聞かれました。

 彼らは商品開発で、自らの発想を重視したいようです。

 加工方法、マーケティング上のアドバイスを続けたいと思います。

現光寺(源氏寺)で謡会

須磨の現光寺で謡会をしました。現光寺は、能「須磨源氏」で光源氏の住居とされ、源氏寺と称されることもあります。物語上の住居跡と言うことにもなりますが、状況的に現光寺の場所がそうであったというこよに矛盾は無いかもしれません。

当日の演目は本曲「須磨源氏」であるべきなのですが、須磨寺の西の”敦盛塚”が有名で、元気よく謡えることから「敦盛」としました。

我が手にかけた敦盛の菩提を弔う蓮生法師(熊谷次郎直実)が須磨を訪れ、草刈男達に出会うと、中の一人が平敦盛の亡霊であるとほのめかして消える。その夜甲冑姿の敦盛が現れ、一ノ谷の合戦の有様を物語る。十六歳で戦死した若武者の可憐な情趣

現光寺で敦盛を謡う


二曲目は「恋重荷」です。

庭の菊守り老人・山科の荘司が白河院の女御に恋をした。女御は、美しく作った荷を用意させ、これを担って庭を回れたら顔を見せようという約束を伝える。老人は懸命に荷を持ち上げようとするが荷の中身は巌、謀られたと知って恨み死にする。怨霊となった老人だが、やがては恨みを消し、女御の守護神となっていった...

本堂では江戸時代の住吉具慶 須磨巻の模写のふすま絵を見ながらの謡は最高でした

「ねるねるねるね」久し振りの開発物語の記事

 

PHP研究所発行 THE21


久し振りに、「ねるねるねるね」開発記事が掲載されました。PHP研究所発行のビジネス誌「THE 21」の4月号です。「プカポン」「ツブポン」から生まれた背景が記されており、発案者名も明記されました。何故か今まで、取材も受けてきませんでした。「ねるねるねるね」ネーミング発案者は、超巨大広告代理店のクリエイターの示唆によるモノです。歌舞伎俳優のご子息でした。発案経緯の正確さは必須ですが、商品寿命の延命にどんな知恵が加えられたのか、もっともっと大切なことがあったのでは無いでしょうか。延命に力を発揮された後輩には、自己分析を続け深めて欲しいと感じました。機会があれば、話を聞かせて貰いたいものだと思います。

夢前川の冬景色

夢前川の冬枯れで、草木の緑が殆ど見えません。水流調整用の堰も水枯れです。初めて渡ってみました。この堰途中、魚が遡上できる箇所も水枯れです。堰が干上がることは滅多にありません。子供の頃、失敗して川に落ちたことを思い出しましたが、冒険心が満たされました。午後からの雨で、渡れる機会は暫く

夢前川のコンクリート製堰と魚遡上時用箇所


得られないでしょう。

能楽部、3年ぶりの同窓会開催


 大学能楽部の71年卒、72年卒合同同窓謡会が、コロナ禍の影響で3年ぶりに開催されました。4年間、毎週3~4回部室にこもって稽古を続けた仲間だけに、懐かしさで一杯でした。屋島、野宮、巻絹、石橋を11名で謡い続け、慎重派が多く、おそるおそるの懇親会でしたが、盛り上がりました。

AGF 5%果汁入粉末ジュース「フルーティ」へ対応策の発案

 1970代後半、粉末飲料の市場はコカコーラ、ファンタドリンク、バヤリースオレンジジュースなど、液体飲料が自販機の進展に伴い主力となり、見る影もなくなっていきました。そんなとき。AGFが5%果汁入り粉末ジュースを瓶入りで発売しました。粉末加工分野の研究員として、対応策を検討しました。AGFはフリーズドライの果汁と香料を閉じ込めた粒状の香料を使用していました。フリーズドライの果汁を安価に仕入れるルートが無く、粒状香料は香料会社との共同開発品なので取り込むこともできません。目を付けたのが、グラニュー糖です。ザラメ糖と反対に、小さな結晶糖です。

細めグラニュー糖です。次に、目を付けたのが濃縮果汁の濃縮度です。

7倍濃縮果汁を細めグラニュー糖に拡販しながらニーダーに混ぜていきます。濃縮度が高くても、べとついて混合後の乾燥は大変でした。

 ここで、細めグラニュー糖を予め熱しておき、濃縮果汁を規定量加える方法を思いつきました。何とか、べとつきを抑えましたが、混合しながら乾燥時する必要がありました。ここでM君が閃きました。細めグラニュー糖の加熱と、混合を一度にできる方法です。レボリングパンを用います。レボリングパンは、金平糖やチョコ掛けに用います。

ほぼ目標達成です。更に、この試作品を細めグラニュー糖のメーカーに見せ、相談したところ。フロストシュガーを提案されました。予め顆粒状になっており、アイスコーヒーにも溶けます。

 フロストシュガーをレボリングパンで回転しながら熱し、加熱した濃縮果汁を超微粒噴霧します。短時間で乾燥するため果汁の品質も殆ど劣化しません。M君との共同発案でした。 

 10%果汁の粉末ジュースが完成しました。精糖メーカーにも大好評で、新発売となりましたが、売れ行きはさっぱりでした。もう、粉末ジュースの時代は終わったのです。しかい、発案した喜びは45年経っても残ります。

プカポンの発案について

 技術的課題は、商品製造工程において、生産性向上、つまり加工費が低減できる、品質向上できる、品質のばらつきが少なくなるなどが挙げられます。

 概ね課題は、開発担当した時から目の前に突き付けられているのです。生産スピードを上げられないか、原料チェックでは何が大切か、品質のばらつき検査は流れ作業のままできないか、などの解決法です。その解決法発見・発明が担当者の発案能力です。

  しかし、ここでは新商品の発案について体験を述べます。1960年代に粉末ジュースは各家庭のメインの清涼飲料でしたが、1970年代に入り、激減しました。大きな粉末加工工場の製造設備が稼働しないまま残りました。最初の稼働大作ヒット品がカップしるこでした。N食品がカップ麺を発売し、大ヒットしました。ここで、誘発され粉末しるこを開発されました。カップ容器メーカーは直ぐに、対応してくれました。市場の広がりを予想していたのでしょう。しかし、カップしるこは、冬場の季節商品であり、年ごとに売り上げは漸減していきました。一方、新商品開発と言う言葉がブームでもあり、研究所で私を含め3人だけ、粉末関係新商品開発グループが結成されました。

 そんな時、M製菓のプク〇クが気になりました。この改良版を目指しました。テーマは、粉末を塊に成型し、コップ上面に浮かし、しだれ柳の様に溶け落ちるのです。実現できませんでした。M君が、「コップに浮き沈む」と言う「動き」を課題にしました。その時、小さなラムネ菓子は、発泡タイプの飲料中で、上下することを発見しました。当初は、たくさんのラムネ菓子(錠菓)が浮き上がったところで、溶けながら落ちてくる目論見でした。しかし、打錠機には滑沢剤として食用油脂が必要でした。そのラムネ菓子は解けません。しかし、面白さ、楽しさ訴求は開発中に「動き」に転じてましたので、プカ〇ン誕生に結びつきました。M君の大発見でした。開発課題の手段解決が目的ではなく、本来の目的である面白さ、楽しさであることを忘れなかったのです。M君はその後、冷たい牛乳中でも溶けるココアの製造法を開発しました。残念ながら、M君は広島の有名な自動車会社に転職していきました。機械工学専門の彼の発想センスは、化学家である私の、後の商品開発に大きく影響しました。