「なるなるみになる」の発想シーンを話す

なるなるみになる 2月上旬、山梨県甲府市を訪問しました。地元の食品の商品開発のアドバイスを求められました。 指名された理由は、「『なるなるみになる』が大好きで、どんなときに発想できたのか聞きたい」とのことでした。 「ムクムクソーダ」「ねるねる…

現光寺(源氏寺)で謡会

須磨の現光寺で謡会をしました。現光寺は、能「須磨源氏」で光源氏の住居とされ、源氏寺と称されることもあります。物語上の住居跡と言うことにもなりますが、状況的に現光寺の場所がそうであったというこよに矛盾は無いかもしれません。 当日の演目は本曲「…

「ねるねるねるね」久し振りの開発物語の記事

PHP研究所発行 THE21 久し振りに、「ねるねるねるね」開発記事が掲載されました。PHP研究所発行のビジネス誌「THE 21」の4月号です。「プカポン」「ツブポン」から生まれた背景が記されており、発案者名も明記されました。何故か今まで、取材も受けてき…

夢前川の冬景色

冬 夢前川の冬枯れで、草木の緑が殆ど見えません。水流調整用の堰も水枯れです。初めて渡ってみました。この堰途中、魚が遡上できる箇所も水枯れです。堰が干上がることは滅多にありません。子供の頃、失敗して川に落ちたことを思い出しましたが、冒険心が満…

能楽部、3年ぶりの同窓会開催

大学能楽部の71年卒、72年卒合同同窓謡会が、コロナ禍の影響で3年ぶりに開催されました。4年間、毎週3~4回部室にこもって稽古を続けた仲間だけに、懐かしさで一杯でした。屋島、野宮、巻絹、石橋を11名で謡い続け、慎重派が多く、おそるおそるの…

AGF 5%果汁入粉末ジュース「フルーティ」へ対応策の発案

1970代後半、粉末飲料の市場はコカコーラ、ファンタドリンク、バヤリースオレンジジュースなど、液体飲料が自販機の進展に伴い主力となり、見る影もなくなっていきました。そんなとき。AGFが5%果汁入り粉末ジュースを瓶入りで発売しました。粉末加工分…

プカポンの発案について

技術的課題は、商品製造工程において、生産性向上、つまり加工費が低減できる、品質向上できる、品質のばらつきが少なくなるなどが挙げられます。 概ね課題は、開発担当した時から目の前に突き付けられているのです。生産スピードを上げられないか、原料チェ…

70歳代の解析究明と創造性

同人誌の寄稿文内容に創造性不足を感じる。大半が、課題の究明や解析する内容だ。新しい自説、新しい物語、やや分かりにくい個人的見解などがあまりみられない。小説専門の同人誌には感じないが、季刊、年刊が多く発刊頻度が低いので、創造性開発の挑戦機会…

ひろしま郷土かるた

机の引き出しの奥から、「ひろしま郷土かるた」が出てきました。1974年制作の四国五郎さんの絵からなる。子供用に買ったはずですがカルタ遊びをした記憶がありません。描かれてる内容は、この時点で、懐かしい広島が描かれていますので、今見ると、懐かしさ…

冬のスキンケア商品は外観がよく似ている

肌荒れ防止の保湿剤です。秋口にユースキン、冬になって、容量の多い近江兄弟社のメンターム特売で購入し、残り少なくなってきたので、店頭であまり確かめないで購入後帰宅してみるとロート製薬のメンソレータムでした。メンソレタームは初めて。どの商品が…

ねるねるねるね 35年の社内報

退職した企業(在籍時と社名は変更)の社内報を継続して購読している。11月号で、「ねるねるねるね」が1面に掲載。次女を幼稚園に送った時、園庭で幼児たちの遊びを観察して3区分に分けて絞り込んだ「砂場遊び」が発案のキッカケ。今号でほぼ正確に紹介さ…

ニオイバンマツリと言う花

「ニオイバンマツリ」に水尾川畔で出くわす。見た目も愛らしく、特徴があり、一度見れば記憶に残るが花名が難しい。今回も検索に苦労。匂蕃茉莉と書いて「香りのある外国からのジャスミン」と言う意味らしい。但しジャスミンとは科も属も異なる。これだけ書…

オンラインで謡曲会も源氏物語勉強会も

5人で源氏物語を学ぶサロン風。このオンラインの会で、謡うのは自分だけ。元大学教授(文学博士)の呼びかけで、能の詞章(セリフ)の美しさを学ぶ為に謡うことになった。今回は「夕顔」。原作と比較して物語の展開、趣旨を先生から指導頂く。 能「夕顔」を…

地域振興の古文書保存活動報告会「わたの里の記録」科研費対象

第8回「わたの里の記録」ワークショップ(地域産業史科研費対象活動でもある)が6月27日加古川市で開催された。コロナ禍で定員の半分弱を見込んだ。密回避と換気対策を確実に。ほぼ半分の聴衆来場。繊維加工の地場産業からタオル製造日本一企業に至った勃興…

コロナ禍の謡会は130畳の亀山本徳寺の大広間

コロナウィルス感染は、人からの口中飛沫からと言われている。 謡曲はかなり危ない。月に1回の謡会を、様々な場所で開催してきた。 写真の通りなら、大丈夫だろう。 亀山本徳寺大広間は130畳

ねるねるねるね は巣ごもり需要にマッチ

「ねるねるねるね」は巣ごもり需要とマッチとの記事(朝日新聞1月23日)。新発売は1986年1月下旬に仙台から始まった。前年のツブポンが、その前年(84年)のムクムクソーダより売り上げ減で、開発者としては祈る様は気持ちだった。ヒットのお陰で、社宅や小…

発明が生かされ、商品化されるまで

トレハロースの商品への物性効果を野菜パンでアピールできました。野菜を調理するときトレハロースを一定の割合で染み込ませると、野菜の持つ水分がパンに移行しにくいことを実証しました。調理野菜の水分が高くても、野菜とパンの接触面がジュクジュクした…

粉末ジュースの記事を「さすらいのジェニー」に取り入れ(唐十郎)

1985年4月30日の「プカポン」朝日新聞記事を見て唐十郎氏が来社。 粉末ジュースの歴史と「プカポン」「ムクムソーダ」開発の経緯を説明した。 暫くして「さすらいのジェニー」を上演すると言うことで、舞台用で使用する「プカポン」を提供した。長女…

「ねるねるねるね」発売前は「ツブポン」で全国紙初登場1985年4月30日

新型コロナウィルスが中国からやってきて、世の中様変わりです。若い人たちが業種によって困難な状況に陥ってているようです。 全世界に広がっています。私が、「ツブポン」を開発した頃、今日のような状況だったらどうなんだろうと思いますが、想像できませ…

高岳神社の清掃作業を氏子総代で2日間

冬の間に、境内の枝などを伐採した枯れ木の山の片付け作業に入る。1時間強で、集積することができました。神社本殿横からお祭り時の練り場まで高低差20mの5回の往復は運動エネルギーを要します。最初はマスク着用でしたが、息苦しくて途中でマスクは断念し…

謡曲も三井寺の観月舞台で別世界の喜びが味わえる

10月27日(日)は大津の三井寺で12人の謡会が開催されました。半年前から行事準備されたた世話人には感謝です。 まず、観音堂和室で「高砂」「百萬」「舎利」を謡いました。 そして、観月舞台で「三井寺」を謡います。写真のような雰囲気で、謡ってるどころで…

和歌山は海と水産物と白浜アドベンチャーワールド

和歌山の水産企業にアドバイザーとして取り組み始めて、はや7年。往復の景色、途中下車の散策が楽しみ。くろしお号は動物の絵。紀ノ川を渡ると和歌山。更に南へ下ると海が広がる。この日は、昼食と特急電車との待ち合わせで、海南駅に。 駅ピアノが設置され…

ねるねるねるね開発経緯は2014年記述

プカポン、ムクムクソーダ、ツブポンの次に開発。月間アーカイブの2014年に記述

新加入のグループの一員に馴染むまで

同人誌の会に入って約15ヶ月。大先輩にも少しずつ馴染んで来たように思う(無神経故?)。嗜好性が違うことは理解し、入会に躊躇もしたが、思考性に共感できることも分かってきた。特に一つの課題について理論展開を学べることは喜びだ。そのお一人から「…

正月神事能の面掛式

姫路の南西部の英賀神社(あが)で、1月3日(木)恒例の面掛式が行われた。 各地の正月の神事能が、兵庫県では「お面掛け」「面掛式」として翁舞が行われる。井戸和男師と地元のワキ方江崎師親子地謡で演じられた。 面を付けると神になる。氏子に向かって舞う…

ターゲットは誰?

クラシック音楽に親しみを持って貰おうと企画した、「ろうきんコンサート」と合唱経験者ならほぼ誰しも知っている「蔵王」に接すると「誰をターゲットにしてるのだろう」と感じる。 「ろうきんコンサート」は姫路駅前至便の会場。客席も少なく350席程度。…

地域活動のヒエラルキー

地元高岳神社の氏子総代(各自治会の神社催事担当)になって秋祭りと言う山場を終えました。各自治体の子供会の為応援するという形式をとります。写真は飾り立てた屋台12台がお祓いを受けるために待機の状態です。これから“練りながら”御旅所へ行き、お祓い…

謡曲(能楽部)クラブ活動のサイト運営

「神戸大学謡曲愛好家広場」のサイトです。 大学時代の謡曲クラブ経験者として運営しています。当時会名を「風韻会」と称し、部員は1学年10人前後の規模でした。観世流謡曲と仕舞の稽古に励む、一風変わった学生の活動と言えます。2年から3年にかけての…

めぐってきた地域活動

明日しなければならい所要無し。 日々の稼ぎを主とした日常活動が片隅に追いやられると、「明日のこと」が悩ましくなります。 しなければならないコトが無い1日は、読書、TV視聴、音楽鑑賞をDVDやCDに頼る傾向になります。 謡曲と合唱以外にも趣味を広げ、…

文芸日女道の合評会に出席して

先週、「文芸日女道」の合評会に出席しました。寄稿してないのに出席したのも、“何が何でも次号に寄稿する”気持ちになりたかったからです。 10人が出席し、エッセイごとに、批評が始まりました。いきなり、厳しい批評です。全文の趣旨を批評すると言うより…