地域活動のヒエラルキー

地元高岳神社の氏子総代(各自治会の神社催事担当)になって秋祭りと言う山場を終えました。各自治体の子供会の為応援するという形式をとります。写真は飾り立てた屋台12台がお祓いを受けるために待機の状態です。これから“練りながら”御旅所へ行き、お祓いを受けて地元に帰るだけの行程ですが、11時間を要します。“練り合い”と言うパフォーマンスが好きなのです。
 1週間太鼓たたきの稽古をして、屋台上でバチを高く上げ手首回転させ太鼓をたたく技を披露する子供たちは一生の思い出に残るでしょう。また、担ぎ手の若者が坂道を下る様子は感激します。将に必死の形相です。
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 受け入れる神社側として、準備作業を担うのが氏子総代です。13人います。作業に入ると各自一生懸命対応します。作業慣れした人が多く、感心してみてることが多いのです。
 これが、会社組織や音楽、芸術など競争社会であれば、脱落のみです。もう一つは、権力者が組織の長であれば、従うしかありません。しかし、このような組織に権力者はいません。代表者は権力者であると錯覚してるかも知れませんが、自治会から選ばれただけの担当者には、権力及ばず利益にも関係がありません。はじかれれば、辞めればいいわけです。むしろ幸いかも知れません。
 利益無関係でヒエラルキーが成り立つのは、尊敬できる仲間の存在、所属することで感動が得られる組織です。これが存立要素でしょう。
 暫く様子見ですが、鬱陶しくもあります。古希過ぎてのアイデンティティーは“自己統合”だと、発達心理学者のエリック・エリクソンの説を参考にしたいと思っています。