能「砧」の夕霧は?

大槻能楽堂。上町交差点の南。対角線コーナーに大村益次郎殉難の碑が建つ。能は決まり切った演出が多く、小書きの選択などで多少の趣向に変化を持たせるが、対して変わらない(マニアには怒られる)。本日は、天野先生のご意向を検討した「研究公演」と称し、「砧」上演。九州から京都に出張の旦那が3年を超そうとしている。3年を超すことがなくなったので旦那は知らせに“夕霧(愛妾?)”を向かわせる。夕霧の到着を知らされた妻は、如何にこの間寂しかった、胸の内を話す。中国の故事にちなんで、「砧」を打って都まで打つ音が届く様夕霧と打ち始める。ところが、夕霧は「今年も帰らない」と嘘をつく。帰らないのは旦那の意志であり、夕霧は旦那を自分専属にする意図を察知する、更に3年間の苦しい生活も有っただろう。生きる気力を失い、亡くなる。そうとは知らない旦那は帰って、妻の思いを知りたいと、妻の霊から恨み節を聞く。真相を知った妻は、成仏する。ここで、研究公演は夕霧の“嘘”が不明瞭な現在の詞章をオリジナル詞章の「秋には帰らない」とすることで“嘘”を明確化。現在の詞章は「」この年の暮れにもおん下りあるまじきにて候」。オリジナル詞章は「殿はこの秋おん下りあるまじきにて候」である、と。ここまでは理解できるが、人間愛にあふれる世阿弥は「夕霧」が只の悪女(嘘つき)で放ったままにしなかったハズ。この演目が理解されることはないのではないか、と世阿弥は制作時から悩んでいたらしい。つまり夕霧の心情を理解しなければならない。
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