フォーレ レクイエム の合唱の美しさ

フォーレのレクイエム合唱練習4回目。
先週欠席したので、個人的には3回目。
高校1年2年以来なので、46~47年振り。
大学は、謡曲(能)だったので、変な発声がしみ込んでいる。

ソプラノ、アルト、テノールバリトン、バスで
音合わせが行われた。

ソプラノ、アルトの女性陣の素晴らしさに怖じ気づく。
何と美声なのだろうか。
完璧ではないのだろうが、美しい。
小生はバスなので、出だしの音が分からないときは
静かにしてればいいので助かる。
黙って皆の合唱を聴いていると、美しい。

能にはこの様な単純美しさをなかなか感じられない。
幽玄だとか、無駄を省いてそぎ落とした芸だとか言うが
美しさでは、どうなんだろう。
サラリーマンから自営業になり、謡曲の稽古も熱心。
能もよく研究しているが、勉強すればするほど
「本当に芸術なのだろうか?」と言う疑問が尽きない。

レクイエムでは、作者フォーレの訴え、フォーレの意志が伝わってくるようだ。

世阿弥の訴えは、「観世さん家(など5流)」が独占的に解釈してるので
技巧や芸しか表に出ない。

只、ラテン語で歌うのは苦しい。
サンクトゥス、ゼウス、アーメン、グロリエなどは分かるが
大半不明だ。

来年6月までは、セロ弾きのゴーシュにならないよう
頑張って付いていきたい。

赤穂から姫路まで35kmの道のりは、帰りは空いてて楽だ。
ワグナーのニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
ややボリューム上げて
聞きながら、帰る。
(と言っても若者様に音が外に漏れるほどでない)。
壮大な音楽は良い。