←昭和6年 明治38年→
加古川の古文書保存活動は時に興味深い資料にぶち当たる。
写真は大阪北浜社発行の明治38年から昭和6年までの市況チャート。
日銀金利、株価指数などと並んで「鐘紡」が企業指標として取り上げられている。
即ち、「先物取引相場」「鐘紡払込資本金」「鐘紡配当率」だった。
入社当時、民間企業国内1位を誇る名門として、何度も聞かされてきたが、証左を見出した気持ちだ。
売上伝票を開くと鐘紡岡山工場との取引伝票を見つけた。
稲岡商店岡山出張所の伝票を開いてみるといきなりこの伝票。
たまたまかと思うが、違う伝票束でも同じ偶然で鐘紡の伝票発見。
次々めくってみたが、この伝票だけだった。
「たまたま」をたまたま読んでいたので、この偶然がきになる。
この工場はその後戦時物資製造の住友系を経て、林原の岡山駅前敷地として活用されたが、周知のようにイオンタウン岡山に。
鐘紡も林原も、社員として勤務した企業が、いずれも現存しない企業となった。これもたまたまなのだろうか。