倉敷美観地区の倉敷紡績(クラボウ)

倉敷美観地区倉敷紡績の工場、事務所と取り巻く商業施設の名残で
成り立っています。
 倉紡記念館に入って、納得です。
ここでは紡績業が明治以降の産業黎明期から戦後までの貢献度合いが
理解できます。
この中で、大学卒業後の就職先である「鐘淵紡績」の業績が改めて偶然
実感できました。
昭和26年の売上高ランキングで、八幡製鉄、日立などを抑えて、1位で、2位は同業の東洋紡でした。
倉敷紡績が大手紡績会社としてランキングされたことを示す表です。

イメージ 1倉敷紡績クラボウクラレとして今も脈々と企業活動を続け、美観地区として、倉敷中央病院、大原美術館などとして社会的存在感も確かです。
 一方、小生の鐘淵紡績は鐘紡、カネボウとなり、入社後在籍した食品部門はカネボウ食品、それからベルフーズに出向し、カネボウフースとなり、小生は40才代後半で中途退職しました。その間に「ねるねるねるね」など多数のヒット商品を生み出せたことは幸運だったとも言
ます。

 現在カネボウは、化粧品以外の
中心だった繊維は、他社に引き継がれたり、解散したりしたようです。在籍してた食品部門はトイレタリー、漢方薬部門と一緒にクラシエとして事業継承されています。

 ただ、花王に買収された、カネボウ化粧品の「カネボウ」ブランドは一切使用禁止となりました。
神戸にある「鐘紡記念病院」も「神戸百年記念病院」になるほど徹底しています。

 さて、倉敷美観地区を10年振りに歩くと、通りの盛衰を感じます。メインストリートが衰えた訳ではありませんが、横道の商店街の創意工夫が目に付きます。
 個性が伝わってきます。山梨県北杜市清里にある「萌え木の村」に
共通するメルヘンパターン、地元名産品のアレンジなど、雑貨、アクセサリー、食品の訴求が明快です。

 倉敷訪問観光客の移動パターンと併せて考えてみたいと思います。