能「定家」と枕草子のかき氷

謡曲「定家イメージ 1」の稽古を終えました。
「定家」は後白河法皇の三女で幼くして賀茂の斎院に選ばれた式子内親王(しょくしないしんのう1149~1201)(後白河天皇の第3皇女)と、当時最高の歌人として有名な藤原定家(ふじわらのていか1162~1241)の死後も続く“ラブストーリー”です。定家は百人一首の編者でも有名です。その定家が恋い焦がれて式子内親王死後のお墓にまで、“定家葛”となって、まとわりつくのです。まとわりつかれた式子内親王は苦しみ、開放され成仏を願うのですが、意外にも成仏寸前に愛欲地獄を自ら選びます。「ともに邪淫の妄執を」と葛のまとわりつく墓の中に籠もっていくのです。

 この葛は清少納言枕草子に記されていますが、かき氷の甘ずらにも利用できたのだろうか、と思いましたが、この樹液は毒性があり、使用不可です。

 奈良女子大が公開実験をしてます。
http://www.nara-wu.ac.jp/grad-GP-life/bunkashi_hp/amadzura/amadzura_hp.html
落葉樹に巻き付く蔦の芯部の糖度が高まる冬季に、30人が作業し450mlの「みせん(蔦の芯部の液)」が取れBx69まで4倍濃縮で、煮詰めます。
これを甘ずらと言うようです。
 女官の清少納言藤原定子一条天皇の皇后)と楽しんだのでしょう。
この糖度なら、常温で夏期まで保存できます。
 当時から氷室があり、大勢の作業員を使い、甘ずらを作り、梅の風味などが利用されたと考えられます。
 愛欲生活の「定家」葛から、平安貴族の日常の楽しみが、発展連想されました。それも壮大な作業から生まれる贅沢文化です。
 最初、かき氷で無く、かち割りだと思ってましたが、鉋で削ったのでしょう。かき氷自体は現代と変わらない製法と言うことになります。
 蔦に選択された理由は何故なんでしょう。果実でも無く・・・