「ねるねるねるね」創作と「能の女たち」杉本苑子の視点

「趣味は謡曲」で、学生時代から、一時期を除いて続けています。愛好家の多くは「観能」も併せて趣味とされています。
謡曲の楽しさ面白さは、「謡う」ことにあり、ある意味現代のカラオケに通じるところがあるかも知れません。しかし、「観能」となると、謡曲愛好家でも“退屈”感が漂います。それで、能に関する歴史書から、観阿弥世阿弥、義満と言った文献的書物を漁り、退屈にならない鑑賞方法を探ります。
今まで書物は50冊以上、観能回数は100番を超えますが、感激できたのは、師匠(杉浦豊彦師)の舞台と、囃子方
(大鼓)亀井広忠師出演の舞台、数番だけでした。
 杉本苑子著「能の女たち」で、能楽の制作者の視点を感じ、改めて鑑賞態度に理解が深まったような気がします。能楽本は殆どが“能鑑賞の手引き”内容です。人によって感じ方も視点も違いますので、共感への入り口が見つかりにくかったのです(感受性が鈍いとも言えますが)。
一方で、能を理解できる人には、鑑賞の手引きや解説書で十分なのでしょう。
 「ねるねるねる
イメージ 1ね」も1985年に、水飴を練る発想から、次女の通う幼稚園の園庭遊びの内から、砂遊びと水飴を練る行為を結びつける発想に至りました。現場で感じることができたのは、日頃の二人の娘とその友人の遊びを注視していたからです。ボウフラが湧く様にアイデアが出るわけではありません。しかし、ライフサイクル延命の為の改良は緻密に考えていけるスキルを持った人がなしえることでしょう。発想、開発から17年経たとき私は中途退職し、転職しましたので、その後「ねるねるねるね」を今日まで育成してくれたのは、後輩の鋭意工夫の素晴らしさでしょう。
 もう一つは、榎本泰子著「上海」です。これは、上海の興亡100年が入植者達の視点で丁寧に描かれてます。事件名から理由などを説明する歴史書能楽の手引き書と共通の印象を受けました。入植者の動機から沸き起こった欲望や、国家の利益追求の摩擦など複雑に絡んでいますが、“人”が思わなければ動きにはならず、事件にもならないと感じました。