湖北の街、長浜での研修に出張。
もう10ヶ月になる。
OEM受注の見積もりの出し方。
考え方と計算方法を幾通りか指導。
さて、長浜からは高島が近い。
高島は「継体天皇」の出身地と言われる。
能の「花筺」にその恋物語が描かれている。
越前国今立郡味眞野村で暮らしていた大迹部の皇子(おおあとべのおうじ)は
武列天皇亡き後、皇位を継承することになった。
この味眞野時代に恋仲だったのが照日の前。
即位のため、照日の前に別れを告げ、記念に花筺を手渡す。
その花筺を使いの者が文と共に手渡すシーンが前半山場。
「私は応神天皇の五代の孫。天皇になる立場ではなかった。
毎朝味真野というところで天照大神の御霊を祭る伊勢大神宮を拝んでいた。
それも自分が天皇になることを祈るのではなくて、
国家国民が平安に居られるようにということを毎朝祈っていた。
しかし自分が皇位を継承することになったので、
あなたと別れてしまうことになった」と告げる内容だ。
照日の前は手紙を読み終わった後、
花筐を手にして自分の住んでいたところに泣く泣く戻って行く。
動きが少ないので、鑑賞者は手紙を一緒に読む気になることが必要。
照日の前が涙するのに共感できたら、良い。
演者の演技で共感はほぼ出来ない。
後半は、大和国磯城郡安部村池内の紅葉狩り。
何故か、年月を経た大迹部の皇子が、しかも継体天皇が子方で出てくる。
世阿弥はメロドラマチックに仕上げるのがいやだったのかも知れない。
ここでは照日の前が再会の喜びを演じる山場なので
焦点を二人にしないためにも、天皇を子方にしたのかも知れない。
天皇に仕える官人は行き先を遮る侍女が持っていた花筐を
地面に打ち落とすと、狂女は狂乱し、
この花筐の由来を語り、身分違いの恋をしたために苦しんでいることを述べる。
皇子の花筐を打ち落とすとは、官人こそ物狂いだ。
天皇は照日の前に気付き、狂人でないなら一緒に玉穂の都へ行こうと、と。
最後に、照日の前と従者だけが残り、一緒に帰るはずの天皇を見送り
舞う。別に、嘘だったと言うことではない。
照る日の前の喜びを表現するため、舞台に残ったのだ。
まさにハッピーエンド。