水害とボランティア

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8月9日兵庫県佐用郡佐用町で水害のニュースをTVで報じてた。
妻の故郷でもある佐用平福佐用町より上手にある。

平福は宿場町として栄えた面影が残る。
宮本武蔵の初決闘の場も残っている。

実際、50年前の年末は現在のバイパスもなく
宿場町そのものが街道の役割。
市が栄え、足の踏み場もないにぎわいの中
神姫バスが行き交ったと言う。

10日の月曜日、地元の人から平福の惨状が伝えられた。
今は、宿場町を訪れる観光客、地元の人々の憩いの場として
妻の故郷の家は土日に開放されている。
その家屋が、床上浸水、表戸は流され、泥水が土間や
廊下、一部畳の部屋まで覆った、と。

11日は交通事情も悪く、復旧作業や対策を練ることが
できなかった。
13日やっと姫路から4人で駆けつけた。

あらゆることを想定して作業道具を準備したつもりだったが
段取りも悪く、片付けの進捗状況の割に
疲れるだけ。

町役場のボランティセンターに救援の要請を登録した。
暫くすると一人のボランティの青年が、手助けの申し出。
あっという間に、ぬれた布団、畳など撤去いただいた。
そして、お礼をいう間もなく爽やかに去っていった。

ぬれた布団が、ぬれた畳が如何に重いか・・・。
そして臭いのに。

被害は、考えることもできない。
すべて失ったといえる。

14日 次の日も、ボランティアの青年3人登場。
冷蔵庫、洗濯機、暖房道具、座卓 etc 撤去を手伝って頂いた。
彼らの心意気に、心から感謝したい。

15日土曜日 3連続で還暦を過ぎた夫婦二人で、
作業は殆どできなかった。本当に疲れる。
タンスの上部のわずかな衣類だけ、車に積んだ。

19日20日は、夫婦二人留守中、自治会長立ち会いの下
畳、残りの家具、そして思いも掛けず、庭や床下の泥も撤去
頂いたのこと。

泥は諦めていたので、驚くとともに
組織だったボランティアの行き届いた活動に、
いくら感謝しても言葉では言い表せない。

各地の災害のニュースを見て
気の毒と思うが、ここまで大変とは、
想像力も及ばない。

個人の心意気を有機的に取り纏める組織と、
急場で制御しきれないはずなのに
個人は整然と活動。

平福の町全体の復興と
故郷の家屋の復旧は
見通しは立ってない。

ボランティア活動の如く
町全体が有機的に動いていくことだろう。