利神城跡 宿場町平福 ボランティア

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宿場町、平福の醤油屋さんの路地から、利神山(標高373メートル)山頂の利神城址を見た写真である。
1349年南北朝期に、赤松一族の別所敦範が利神山に山城を築いたの名残である。
赤松一族の拠点として約二百年を経て、関が原の戦(1600年)のあと、
播磨52万石の領主池田輝政の甥、池田出羽守由之が
平福領2万3千3百石の領主となり築城が始まった。
それまでは、尼子勝久宇喜多直家など入れ替わりが激しかったようだ。
由之は5年の歳月をかけて城を大改修した。
三重の天守を構え、曲輪を全て石垣で築き回廊で結んだ。
また、山麓に城主屋敷、武家町、街道沿いに町人地を設け城下町を整備した。
城を見た輝政はその豪壮さに驚き、江戸幕府の警戒を恐れて
天守の破却を命じたとされる。
由之は1609年(慶長14年)に備前国下津井城の城番として転出した。
三重天守など主要建造物は既に取り壊されていた。
1615年(元和元年)輝政の6男輝興が2万5千石を与えられ平福藩が立藩し
城主となった。
1631年(寛永8年)輝興は赤穂藩を嗣いだため、
平福藩は廃藩となり利神城も廃城となった。
以後、この地には旗本松平氏の所領となり宿場町の一角に代官の
陣屋が構えられた。

今でもこの陣屋は残っている。
因幡街道に残る不思議な宿場町だ。
2年半前、この地は大雨洪水で多くの家屋が床上浸水した。
このときのボランティア活動は忘れられない。
感謝、感謝であった。