用水路の科学と町の整理の政治

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山陽本線上郡駅から智頭急行鉄道で苔縄駅下車。
赤松円心を記念する「宝林寺」の境内に「円心館」がある。
円心館には、赤松三尊像があるが、お盆休みで拝観できず。

目の前の田んぼを見ると、疎水を流れる豊かな水、
引き込んだ後、遠くの田んぼに水を引く用水路。
木の板で堰き止め、あふれ出させる。
遠方まで水が流れる。
用水路の堰き止め用、くびれ(凹部)は
簡単で、見事な設計だ。


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姫路駅に山梨出張の切符を買いに行く。
帰りに、石を積み上げたモニュメントに気付く。
姫路城最後の城主酒井忠興の娘秋子を娶り婿養子となった酒井忠正が
地域を整理した記念碑のようだ。
本人は備後福山藩の最後の藩主だった阿部正桓の息子として生まれた。
1918年(大正7年)に京都帝国大学法学部を卒業。
1923年(大正12年)9月から1945年(昭和20年)12月まで貴族院議員。

こんな記念碑ができた経緯は
なかなか収拾がつかなかった地域の整理に貢献大だったのだろう。