杉浦能公演 春 故杉浦元三郎を偲ぶ会 を観て

4月5日京都観世会館で「朝長」「賀茂」狂言「地蔵舞」他を鑑賞した。
~故杉浦元三郎を偲ぶ会~ としての公演である。
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 ご子息の杉浦豊彦師に稽古を付けて頂いている。
師の「朝長」のシテで面を通しても美声、滑舌の良さは相変わらずで、姿勢所作の美しさ、後
ジテの衣装選択もセンスの良さが伺た。

 最初の演目「賀茂」には豊彦師のご子息悠一郎氏が演じた。シテとツレで一緒に謡う真の一声は最初の内、不協和音で、聞きづらかったが、下歌、上歌になると、二人の声が揃い、安心した。
 
 一緒に鑑賞した友人も、同じ様に感じた様だ。


何度も読んでいる山崎 有一郎 (著), 葛西 聖司 (著)の「能・
狂言なんでも質問箱―能楽博士があなたの疑問にこたえる」の中に“美声は悪声に劣る”等と、“水は高いところから低い方に流れる”の逆説が述べられていることを思い出した。
 美声は声に溺れて芸の精進が不足することが多い、が論拠らしい。
しかし、悪声は舞台で演じで貰っては困る。お金を出して半日を過ごす人をどう思ってるのだろうか。
 美声に溺れることなく、精進第一が本筋だろう。
 その本には、オペラも事前勉強してないと歌詞はわかりにくい、能は日本語なのでよく分かる、と決めつけている。オペラは分からなくても音楽として美しい。
 能も美声で地謡は揃い、囃子方もクリーンな音色を奏でて欲しい。
 悪声は止めて欲しい。

 杉浦師の素晴らしい「朝長」を観て、舞台は美しくなくてはならない、改め思う。