ねるねるねるね が30年越のロングライフ化に感謝

ねるねるねるね」の記事が久しぶりに掲載された。Web記事だが、いつも開発プロセスや当時の環境に誤りがあるのが気になります。意図があるのでしょうか?
 開発プロセスは当ブログ、2008.2.24、2010.11.4、2012.2.29、2014.5.11~5.13、2014.5.17、2016.1.3に掲載してます。掲載動機は、「息子や娘がファンだったので、何故あんなアイデアが出たのか聞かせてくれ」が1番です。小学校で、食育の講演依頼をされたときは、食育の話よりも、「ねるねるねるね」のアイデアの源にPTAや教職員、議員も関心が集まりました。
 今、復活させてくれたことは、大変なことですが、世の中に無かったジャンル構築の条件と、元々小生在職の17年間も微修正で生き延び着てきた理由が分かってないまま「ねるねるんるね」を残して転職したとも、感じます。
逆に、今、小生が、「ねるねるねるね」を開発して上市させてもヒットしてないだろう、と“時の運”を感じます。

当時、所属の事業部内に、お菓子を売る営業マンは、31人中、1.5人でした。その営業マンも年間に菓子営業に僅か15日間。残りの営業マンは、食品流通のカップ麺を売っていたので、社内の気を引くためにも、“インパクト”のあるフックが必要だったのです。ある意味、寂しいものです。もう一つは、ラッキーとも言えるますが、チェーン店割合が低く、市中のお菓子屋さんにもインパクト効果は直結できたのです。コンビやスーパーチェーン店が今ほど強かったら、ターゲットで無い窓口のセンス依存度が高く、どんな作戦で、新ジャンル参入が出来たか、後輩の動きを見てもよく分からないのですが、後輩はままごとセットで活路を見出してくれてます。
 「ねるねるねるねのアイデア開発」と「カップ麺の原価採算の緻密な計算法習得」が今、企業アドバイザーとしての立場に繋がっています。

さて、本日の記事。
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30周年「ねるねるねるね」 最大の危機救った決死の「イメチェン」 “怪しさ”から“ふわふわ”へ

クラシエフーズが販売するお菓子「ねるねるねるね」は、発売から30年たった今も子どもの心をつかんでいます。実は2000年代後半、5年間で売り上げが約半分になる危機がありました。累計で8億食売れた人気商品をV字回復させたのは、担当者の「こども目線」でした。←開発者も当然次女の幼稚園児の動きを何ヶ月も研究し社宅の子供達の動向を探っていました。

1986年に発売、「怪しさ」が心つかむ

 30周年を迎える「ねるねるねるね」は1986年に発売。(水飴を食べながら紙芝居をみる楽しさを研究員に相談したが、彼の女性部下は知らないので興味薄。又、透明の水飴を粉末から作るのは至難の業で、一時諦めた)公園(正しくは幼稚園)の砂場で夢中に遊んでいる姿にヒントを得て開発されました。当時は20~30円程度の駄菓子が多く、100円の「ねるねるねるね」は子どもにとって破格の値段でした。(子供のお菓子業界を知らないマスコミの記者からインタビューされるとき、駄菓子と思われるのが非常に辛かった。インタビューでは駄菓子の言葉を禁止させた)

 「売れっこない」と社内から声が上がりましたが(上がらなかった。心配だったのは開発者本人だった)大ヒット。怪しいパッケージ(今もこの時のデザイナーと付き合ってますが、この記事を読ませると驚くでしょうね。我が娘も始めて可愛いと言ってくれました。怪しいなどの評価は皆無。TVCMは確かに怪しい)に、魔女が登場する「テーレッテレー」というCM。粉に水を入れると色が変わり、かき混ぜるとふくらむお菓子の「謎」に子供は夢中になりました。

 当時は「食べ物で遊んではいけません!」という時代。保護者からクレームが相次ぎましたが、それは子どもの心をつかんだ証拠でした。(殆どクレームは無かった)
売り上げ、約半分に みんな知ってるのに…なぜインパクト商品は当然のライフサイクル)

 ただ大ヒット商品にも大きな危機が訪れました。2000年代後半から毎年、売り上げがダウン。5年間で売り上げは半分近くに。他のお菓子が好調だったため、全体の売り上げも落ちていませんでした。そのため危機感もあまりなく、「ねるねるねるねは、落ちてるけどなんでだろう」というムードだったといいます。(1998年1月末まで在籍し、改良を重ねていたが、浮上ムードを掴めなかった。よくその後復活させてくれたありがとう、が本音)

 「ねるねるねるね」の復活を託されたのが、2010年から担当になったマーケティング室菓子グループ課長の津田未典さん。1千人の市場調査で9割が「ねるねるねるね」を知っていました(gooの調査でも、絶大な話題性でしたね。ねるとん紅鯨団、スライム、に次ぐ3位。4位はキン消し)。しかし、3割が買ったことがなく、その理由は大きく3つでした。統計学では70%は、優位性有り。30%買ってない重視は総取り思想で危ない)

(1)よくわからない
(2)おいしそうじゃない
(3)親が買ってくれない
(全部に異論がありますが、<だったらヒットなどしないでしょう>、2000年以降浮上に成功したのだから、思いの中味が違ったのでしょう)
(発売時の研究員は女性でした。小生は今でも彼女の功績が偉大だと思ってます。小生が心配だったのは最終段階でインパクトを弱めた=角が取れてる。しかし、カラフルシュガーの芯に“しんびき”を発見したので、菓子としての魅力深さを感じるところまできた、決断できた様な気がします)


 いつのまにか、子どもにとって、縁遠いお菓子になっていました。
時代の変化、商品が「上から目線」に?

 津田さんは商品を2011年に大幅リニューアル。親の不安を和らげるため、パッケージの裏に色が変わる仕組みを説明し、表には保存料・合成着色料ゼロのマークをつけました。味も変えて甘くしました。

 津田さんが一番こだわったのは、どうやったら子どもに魅力が伝わるかということ。どんな言葉、どんなイメージだったら「ねるねるねるね」を買ってもらえるか。幼児期の音楽やテレビ番組、絵本などで研究したそうです。そして、たどりついたのは「ふわふわお菓子」というフレーズでした。

 リニューアル前は「ねっておいしい!」というフレーズをパッケージに載せていました。津田さんは「子どもは『ねって』という言葉は使わないんじゃないかと思いました
(CMで伝わってましたので、CMやめればこの見解は頷けますね)。子どもに伝えるには、『どんどん』とか『じゃーじゃー』とか音から入らないと伝わらないと思いました」と語ります。
  
まぜて遊ぶ楽しさ、変わらなかった

 リニューアルをすると、売り上げはV字回復しました。津田さんは、時代の変化からか発売当時には魅力だった「怪しさ」が商品への不安につながったのが、2000年代になって売れなくなった原因のひとつと見ています。

 「昔と違って、子どもにはイメージでみせなきゃいけない。知名度だけで上から目線のお菓子になっていました」

 ただ変わらなかったのは、まぜて遊ぶ楽しさでした。「好奇心をかりたてるお菓子は『ねるねるねるね』だけ。怪しくなくても十分、魅力があった。唯一無二のお菓子でした」。そう津田さんは振り返りました。
(「ねるねるねるね」の魅力が本当に当時分かっていたら、翌年の「すらすらキャンバス」でもう少し工夫できたと、後悔してます)

最も素晴らしいのは「ブランド維持30年」です。0.5%以下だと思います。心配なのは、これに寄りかかり過ぎることです。