◇観世流能楽「羽衣」
片山九郎右衛門/江崎正左衛門
◇大蔵流狂言「濯ぎ川」
茂山千五郎
◇観世流能楽「正尊」
上田貴弘/江崎欽次朗
姫路城改修記念行事に例年の薪能を絡めたイベント。
例年より早めに行ったがどういう手続きか知らないが、前席は大半予約席。真ん中片で観能。始まる前にあまりの大観衆に、一緒に来た友人が「何人かしら?」「上田能楽堂が400人」「京都観世会館が500人強だから・・・・」と数え始めたら5000人はゆうに超える。「そんなに居るはず無いな」とカウントを諦めた。今朝の新聞では1万人。
演目も、戦後演能回数1位の「羽衣」と、義経を討ちに来た正尊の言い訳(起請文と称して熊野詣での途中です。決して貴方を討ちに来たのでは無い、小学生のような嘘)を読み上げる。その後は、派手な殺陣、その中で2度の仏倒れ(真後ろに倒れる)と、見応え有り。能舞台ファンが300人は増えるのでは無かろうか。狂言は「濯ぎ川」。選曲も良かった。
正尊は頼朝と義経の関係を示す、一つの事件。権力者になった頼朝は弟でも一人の家来に過ぎない。義経は勝手に官位を受けたり、戦いの戦術を決めたりできない。
弟の気持ちが義経を不幸にしたのだろうか。
平家物語を題材にした能の演目は多い。それらから伺えることは「正尊」でも証明される。
頼朝は信頼の絆に「血」は根拠とならない。後の武将も大半そうだ。しかし、皮肉なことに、反逆の「血」は信じているようだ。つまり、敵の武将の一族は根絶やしなるまで殺戮する。
しかしこの不信の血縁は、結局自分に返ってくる。源氏の世の中も儚かった。