霊の存在を信じる信じない、能の夢幻能と比較

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朝日新聞2016.3.5beのアンケート記事です。見事に拮抗した結果です。
信じる理由、信じない理由を社会改心理学者の小城英子さんが解説されています。

不思議現象について「見たという人を否定はしないけど、私は見えない。だから私は判断をしない」つまり信じる、信じないという二者択一では実態は分からないということだそうです。 小城さんは不思議現象への態度によって人を四つのグループに分けている。 
①不思議現象信奉者=やみくもに信じる
②娯楽的享受層=話題のツール.コミュニケーションツールとして使う
③一般層=ほどほどにやり過ごしている
④懐疑層=全否定。 

④は、さらに「頭ごなしに否定する人」と「考えた末に否定する人」など、幾つかの層に分かれると推測。その上で、「頭ごなし型」は①の信奉者群と似ていると小城さんは指摘する。「信じるのが愚か、と情報処理をシャットアウトするのはやみくもな信奉者と思考が同じなんですね」 小城さんが分類した①はやみくもな信奉だが、今回のアンケートでは「やみくも」ではなく実際に霊を見た人も少なくなかった。その数、117人(約6%)。
と記事は続きます。

 この中で、読んでて気になったのは、「霊」の話を生まれてから偶然誰からも聞かなかった人は、概念をどう掴むのでしょう。
  一方で、死後の世界、霊が一切語られない民族や地方があるのだろうか?と思いを巡らすと、必ずと言って良いほど霊をまつる儀式や祭りなど政は行われてるようです。そうすると有るのかも知れません。信じる概念把握力の有無が問われてるのかも知れません。

 能では、かなりの頻度で霊が出てきます。ただ、能の場合は、舞台演出上、舞台場面が変わりませんので、世阿弥が生み出したテクニックの夢幻能を実現するためとも考えられます。霊の存在で場面が変わらなくても、物語の過去から現在、成仏まで展開が可能になるのかも知れません。