創作の発案は引用か脚色か独自案か

 「琵琶湖周航の歌」の歌い出だしで、最後は「七里ヶ浜の哀歌」(真白き富士の根)で歌い終わっても、気付きにくい話を聞きました。

 「琵琶湖周航の歌」は、イギリスの「WATER-LILIES」を「睡蓮」として石川林四郎が1910年訳したものを「ひつじくさ」として吉田千秋が1913年訳し、更に1915年作曲した、とあります。

 「七里ヶ浜の哀歌」の引用オリジナルは「ヒツジクサ」ではなくイギリス民謡→聖歌623番「いつかは知らねど」→1890年「明治唱歌」 「夢の外」なので別だそうです。
 作詞は、鎌倉女学校の教師だった三角錫子(みすみすずこ)で、1910年の法要の際には自らオルガン伴奏をしたとのこと。

 「琵琶湖哀歌」は1941年4月6日第四高等学校(現在の金沢大学)漕艇班員8人を含む11人が琵琶湖での遠漕中に、荒天のため大溝(現・高島市勝野)、荻の浜沖合約1km付近で遭難したことを悼んで作られたモノですが、これが「琵琶湖周航の歌」と「七里ヶ浜の哀歌」両曲のパクリと言われています。

 後に「七里ヶ浜の哀歌」のコード進行に「琵琶湖周航の歌」のメロディが無理矢理組み合わされて「琵琶湖哀歌」が誕生し、この「琵琶湖哀歌」により曲げられた旋律線が逆に「琵琶湖周航の歌」に取り込まれる形で間接的影響を与えているのだそうです。

 詳細は『三文楽士の音楽室』http://sunlake.org/music/biwako/index.htmで記されています。

 この「琵琶湖周航の歌」の場合、創作者は誰と言えば良いのでしょうか。
 
 現存する楽曲の制作プロセスが明らかな場合、「引用」か「編曲」か「独自発案曲」なのか判断できそうです。現存曲は日本風に十分アレンジされており“名曲”となっています。
 本当の作曲家は誰かを追求すると、編曲者評価はどうなるのでしょう。

 話は飛びますが、ラーメンや餃子も中国オリジナルといえ、来日中国人が褒め称えているようです。「これは完全に日本食だ!」と